第37回|配当年80万円で、どうするの?|「使い道を探さない」という選択

資産再登山記

前回は、

AIに任せることと、

自分で決めることについて書いた。

今回は、

高配当株の話に戻りたい。

ワシが保有している高配当株からは、

現在、

年間約80万円の配当を見込んでいる。

年間80万円。

こう書くと、

「その80万円を何に使うんですか?」

という話になりそうである。

旅行に行く。

うまいものを食う。

欲しかったものを買う。

生活費の足しにする。

だが、

ワシの場合、

そもそもその発想にならない。

配当金が入った。

だから何に使おうか。

この二つが、

ワシの中ではつながっていないのである。

では、

年間80万円の配当を受け取ることに、

どんな意味があるのか。

今回は、

配当金の「使い道」ではなく、

使い道をわざわざ探さなくなったワシのお金に対する考え方

について書いてみたい。


■この記事でわかること

・年間約80万円の配当金をワシがどう考えているのか

・なぜ配当金を生活費に補填するという発想がないのか

・なぜお金が入ると、人は使い道を探してしまうのか

・「使わない」と「使えない」は何が違うのか

・ワシが考える「リッチ」と「ウェルシー」の違い


■結論

👉 配当金が入ったからといって、使い道を考える必要はない

👉 使いたいものがあれば、迷わず使えばいい

👉 だが、金が入ったことを理由に、使いたいものをわざわざ探す必要はない

👉 使わなくても困らない余力があること自体が、心のゆとりになる

ワシにとって大切なのは、

年間80万円で何が買えるかではない。

使いたい時には使える。

だが、使う必要がなければ使わない。

その状態にあることの方が、

ずっと大きいのである。


■年間80万円。で、どうするの?

高配当株から、

年間約80万円の配当を受け取る。

では、

その金をどうするのか。

改めて考えてみた。

だが、

どうすると言われても、

正直なところ困る。

別に、何もしない。

もっと正確に言えば、

そもそも使い道を考えない。

今年使う生活費は、

昨年のうちに確保してある。

来年の生活費も、

年金とスイングトレードの利益の一部から、

毎月一定額を積み立てている。

年一回の、

そこそこ贅沢な旅行についても、

特別費として別に確保してある。

だから、

配当金を生活費などに補填するという必要性も、

発想自体がそもそもない。

配当金は、

「まだ使い道を決めていないお金」

でもない。

使い道をそもそも考えないお金

なのである。


■金が入ると、なぜか使いたくなる

とはいえ、

人間というのは、

まとまった金を手にすると、

何かに使いたくなるものなのかもしれない。

特に、

普段は生活に追われている人ほど、

珍しくまとまった金が手元に入ると、

ソワソワする。

「何か買うものはなかったかな?」

「せっかくだから旅行でも行くか?」

「ちょっと贅沢してみるか?」

本当に必要だから使うのではない。

金があるから、使い道を探し始める。

それが、

人間の性なのだと思う。

ワシ自身、

昔はそんな傾向があったかもしれない。

珍しく大きな金が入る。

すると、

何となく落ち着かない。

新車でも買おうか。

旅行でも行こうか。

うまいものでも食いに行こうか。

まるで、

「金を持っているなら、何かに使わなければならない」

というスイッチが入る。

だが、

今のワシは、

そのスイッチがほとんど入らない。


■欲しいものがあれば、迷わず使う

ここは、

誤解されたくないところである。

ワシは、

節約するために、

欲しいものを我慢しているわけではない。

行きたいところが見つかれば、

行けばいい。

欲しいものが見つかれば、

買えばいい。

そのための金はある。

予定していなかった、

突然の弾丸ツアーだっていい。

本当に行きたいと思えば、

行けばいいのである。

では、

なぜ配当金を使わないのか。

理由は単純だ。

必要のない金の使い道を、わざわざ探しに行かないからだ。

年間80万円の配当が入った。

だから、

80万円で何ができるか考えよう。

そんな発想にはならない。

少しくらいまとまった金が入ったからといって、

それまで欲しくもなかったものを探し、

それまで行きたいとも思わなかった場所を探し、

わざわざ金を使う理由を作る。

ワシは、

そんなことをする必要はないと思っている。


■使ってしまえば、また元の木阿弥

仮に、

まとまった金が入るたびに、

「せっかくだから」

と使っていたらどうなるか。

50万円入った。

何か買おう。

100万円入った。

少し贅沢しよう。

また金が入った。

今度は何に使おう。

それを繰り返していたら、

結局、

金は残らない。

せっかく余力ができても、

自分から余力をなくしてしまう。

そして、

また金が必要になった時には、

「今月はいくら必要だ」

「来月はいくらかかる」

と、

金に追われる生活へ戻っていく。

それでは、

元の木阿弥である。


■「使わない」と「使えない」は全く違う

ワシが今、

一番大きいと感じているのは、

ここである。

金がないから使えない。

のと、

金はあるけれど、使う必要がないから使わない。

のでは、

同じ「使わない」でも、

全く意味が違う。

今、

特に欲しいものがなければ、

買わなくていい。

今、

特に行きたいところがなければ、

行かなくていい。

だが、

明日、

本当に欲しいものが見つかったら、

買える。

突然、

行ってみたい場所が見つかったら、

行ける。

その金はある。

これが強い。

実際に金を使わなくても、

「いざとなったら使える」

という余力がある。

ワシにとっては、

その安心感、

その心のゆとりが、

何にも代えがたい。


■配当80万円で、暮らしは変わったのか

前回の次回予告では、

「配当年80万円で、暮らしは変わったのか」

という話をしようと思っていた。

だが、

独り言を言いながら考えているうちに、

どうも違うな、

と思い始めた。

そもそも、

「80万円入ったら何に使う?」

という問い自体が、

今のワシの感覚とは違うのである。

配当が増えたから、

生活レベルを上げるわけではない。

だからといって、

配当を必死に貯めようとしているわけでもない。

必要なら使う。

必要がなければ使わない。

それだけである。

だから、

目に見える暮らしが、

配当金によって派手になったわけではない。

しかし、

いつでも使える余力がある。

この安心感は、

確実に増えた。

暮らしの見た目ではなく、

心の余裕が変わった。

そういうことなのかもしれない。


■「80万円で足りるか?」という話でもない

年間80万円。

この数字を見て、

「老後資金として足りるのか?」

「生活費の何か月分になるのか?」

そんな計算をすることもできる。

だが、

ワシからすれば、

「何言ってんの?」

という感じである。

そもそも、

配当80万円で生活しようとしていない。

生活費は別に準備している。

年一回の、

そこそこ贅沢な旅行の費用も別にある。

だから、

80万円で足りるか、

足りないか、

という話ではない。

金が入ったら、何かに使わなければならない。

その発想自体が、

今のワシにはないのである。


■金使いたいスイッチはOFF

ワシなりに考えてみると、

人間には、

「金使いたいスイッチ」

のようなものがあるのかもしれない。

まとまった金が入る。

スイッチON。

さあ、

何に使おう。

だが、

今のワシは、

基本的にOFFである。

勘違いしてはいけない。

OFFだから、

金を使わないのではない。

必要な時には、いつでもONにできる。

欲しいものがあれば買う。

行きたいところがあれば行く。

だが、

何もないのに、

わざわざスイッチをONにして、

使い道を探し回ることはしない。

この違いは、

結構大きいと思っている。


■これが「リッチ」と「ウェルシー」の違いなのかもしれない

以前、

「リッチ」と「ウェルシー」の違いについて考えたことがある。

もちろん、

これはワシなりの感覚である。

金が入る。

その金で、

何を買おうか。

何を見せようか。

何をして楽しもうか。

金を持っていることを、

消費することで実感したくなる。

それが、

ワシの言う、

「金使いたいスイッチON」

の状態なのかもしれない。

一方で、

余力資金が100万円あろうが、

200万円あろうが、

必要がなければ、

使い道を考える必要すらない。

だが、

本当に使いたい時には、

迷わず使える。

金を使えることが豊かさなのではなく、

使うか、使わないかを自由に選べることが豊かさなのではないか。

今のワシは、

そんなふうに考えている。

これが、

リッチとウェルシーの違いなのかもしれない。


👉まとめ

年間約80万円の配当金。

では、

どうするのか。

ワシの答えは、

やはり、

「別に、どうもしない。」

である。

いや、

もっと正確に言えば、

「使い道を考えない。」

生活費に補填する必要はない。

年一回の旅行費も、

別に準備してある。

だから、

配当金が入ったことを理由に、

わざわざ何かを買う必要はない。

だが、

使いたいものがあれば、

迷わず使う。

行きたいところがあれば、

行けばいい。

その金はある。

使いたいものには使う。

だが、金が入ったからといって、使いたいものをわざわざ作らない。

これが、

今のワシのお金との付き合い方である。

そして、

使わなかった金は、

ただ眠っているだけではない。

いざとなれば、

いつでも使える。

その余力が、

安心感になる。

心のゆとりになる。

年間80万円で、

何が買えるのか。

そんなことより、

「必要ならいつでも使える。でも今は使う必要がない。」

そう思えることの方が、

ワシにはずっと価値がある。

もしかすると、

高配当株から受け取っている本当の「果実」は、

配当金そのものだけではなく、

この心の余裕なのかもしれない。

■次回予告

今回、

年間約80万円の配当金について、

「使い道をわざわざ探さない」

という話を書いた。

そう考えられる理由の一つは、

日々の生活に必要なお金と、投資のお金を混ぜていないから

だと思っている。

今年使う生活費は、

前年のうちに確保する。

そして、

来年使うお金も、

毎月一定額を準備していく。

だから、

相場が上がったから生活を豪華にする必要もないし、

下がったからといって、

明日の生活に困るわけでもない。

では、

ワシはなぜ、

そこまで先に生活費を確保しているのか。

次回は、

第38回|来年の生活費を今年から準備する理由|相場と暮らしを切り離す

投資を続けながら、

生活のお金をどう考えているのか。

ワシなりの家計管理について、

書いてみたい。


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